『ヒーリングっど♥プリキュア』は不遇な作品だったのか? ~ヒープリの放送形態のグチをいつまでも言い続けてはいけない理由~
どうも、まさPです。
7ヶ月半ぶりのブログとなりましたね。
4月に独立して仕事が変わってから、なんだか仕事用のブログの方にばかり意識が囚われてしまい、こちらのブログの更新を全くしていませんでした…。
ですが今日、ふとTwitterにスレッドで投稿しようとしたことがあったのですが、
「これ、ブログにまとめたほうがいいかもしれないな」
と思ったので、久しぶりにブログを書くことにしました。
さて、久しぶりのブログですが、テーマは
「『ヒーリングっど♥プリキュア』は不遇な作品だったのか?」
です。
(※以下、ヒーリングっど♥プリキュアを「ヒープリ」とします)
いやー、なんとも難しい話です。
ですが、結論から言わせてもらえば、
「ヒープリはまったくもって不遇な作品ではない。
むしろ、世界的な困難の状況下で制作スタッフの皆様や関係者の皆様のご協力により完走することができた、プリキュア史に残る偉大で恵まれた作品である」
ということです。
それについて書かせていただきます。
- このテーマでブログを書こうと思った理由
- ヒープリは不遇な作品だったのか?
- ヒープリの放送形態のグチをいつまでも言い続けてはいけない理由
- もしも、花寺のどかちゃんがこんな主人公だったらどう思うか?
- まとめ ~ヒープリが好きなら、これからも「生きてくって感じ」で過ごそう~
このテーマでブログを書こうと思った理由
ヒープリが終わってから約9ヶ月が経とうとしています。
ヒープリが終わった後も、私はのどかちゃん過激派*1として、日々Twitterでは「おはのどかちゃん」ツイートをはじめ、のどかちゃんへの愛を叫び続けたり、他のヒープリファンとも交流していたりします。
ですが、ヒープリが終わってから約9ヶ月も経とうとする中で、ヒープリ12話の後に2ヶ月放送が中止になったことや、ミラクルリープやヒープリ映画が半年遅れの公開になったことを、いまだに嘆いている人たちをチラホラ見かけます。
そして、残念ながら今日もまた、そんな人たちを見かけてしまったのです…。
ヒープリは不遇な作品だったのか?
もちろん、ヒープリの新作が2ヶ月も公開されなかったことや、映画が半年も延期されたことは大変悲しいことでした。
ヒープリの大ファンである私としても、当時はとても辛かったです。
ですが、ヒープリが終わって約9ヶ月(ヒープリ映画が公開されてからは約8ヶ月)も経とうとしている今でも、そのことを嘆き続けているのは何か違うのではないかと私は思うのです。
いや、むしろいまだに嘆き続けていることで、その人たちはヒープリをいつまでも無意識のうちに、不遇な作品として扱っているようにも見えます。
ですが、ヒープリは本当に不遇な作品だったのでしょうか?
新型コロナという「未知の感染症の世界的な蔓延(パンデミック)」なんて、100年に1度あるかないかの世界的な厄災です。
そうした世界では、経済活動がいつ破綻してもおかしくはありませんでした。
(事実、世界経済が破綻してはいなくとも、いまだに立ち直れないぐらいのダメージは負っているかと思います)
ですが、ヒープリはそうした世界的な困難な状況下でも、紆余曲折はあれど、物語を最後まで完走することができました。
もちろん、それまでのプリキュア作品と比べれば、ヒープリは3~5話(約1ヶ月分)も短くなってしまいました。*2
それにより、当初予定されていた話(たとえばプリキュア5たちとのコラボ回やクリスマス回など)が無くなったともとても残念でした。
けれども、上記のような世界的な困難の状況下において、作品が打ち切られることなく最後まで完走し、ビョーゲンズたちとの戦いもしっかりと決着してくれた時点で、何よりも素晴らしく偉大な作品だと私は思います。
そして、作品を完走できたことは、世界的な困難の状況下においてとても恵まれていたことだったのではないかとも思うのです。
ヒープリが本当に不遇な作品というのなら、打ち切りエンドだったと思いますしね。
以上のことからも、私自身はヒープリに対しては大変満足しております。
そして何より、ヒープリを最後まで完走させてくださった制作スタッフの皆様や関係者の皆様には感謝しかありません。
世界的な困難の状況下で、ヒープリという素晴らしい作品を完走してくださり、どうもありがとうございました!!
ヒープリの放送形態のグチをいつまでも言い続けてはいけない理由
それと、このブログでもう一つ伝えたいのは、
ヒープリの新作が2ヶ月も公開されなかったことや、映画が半年も延期されたことなど、ヒープリの放送形態のグチをいつまでも言い続けてはいけない
ということです。
というのも、そうしたグチを言い続けていれば、それだけであなたの気持ちはネガティブになりますし、周りから人が遠ざかるので、結果的にあなたが不幸になってしまうからです。
冷静に考えてみてください。
あなたは、過去にあった嫌なことをいつまでもグチグチと言い続けていて、幸せな気持ちを感じられますか?
また、あなたの周りの人で、過去にあった嫌なことをいつまでもグチグチと言い続けてくる人のことを、あなたは大好きになれますか?
少なくとも、私の答えはどちらもNOです。
いや、大半の人はどちらもNOと答えるでしょう。
(むしろ、片方でもYESと答えるのならば、残念ながら普通の人の感性とは違うのかもしれません。)
私は、過去の嫌なことをいつまでもグチグチと言い続けるぐらいなら、今好きなことを話す方が何百倍も幸せになれると思っています。
それに、私に対して過去の嫌なことをいつまでもグチグチと言い続けるような人のことを、私は心から好きにはなれませんし、距離を置きたくもなります。
本当、過去の嫌なことをいつまでもグチグチと言い続けるなんて、グチってる時は多少のストレス解消にはなっても、心からの幸せは手に入らないと思うので辞めた方がいいと思います。
(とはいえ、あなたの置かれている環境次第では、グチを言わなければやっていけない場合もあるかもしれませんので、全てのグチを否定するわけではありません)
もしも、花寺のどかちゃんがこんな主人公だったらどう思うか?
上記のようなことを考えていたら、ヒープリに紐づけてあることが浮かびました。
それは、
「ヒープリの主人公の花寺のどかちゃんが、ずっと病気のことを引きずっているネガティブな女の子だったらどう思うのか?」
ということです。
1話の冒頭で車で新居に向かっている時に、運転しているやすこママの隣で、のどかちゃんが憂鬱そうな顔をしていたらどう思うでしょうか?
2話で学校に通い始めて、部活の体験入部前に「長い間入院してたから、運動なんてできないよ…」と言っていたらどう思うでしょうか??
他にも、3話以降で「長い間入院してた私は、なんて不幸なんだろう…」と何度も何度もグチってて、ネガティブな表情をしていたらどう思うでしょうか???
※ イメージ ※
のどかちゃん過激派を名乗る私でさえも、物語の最初から最後までのどかちゃんがそんな態度を取っていたらウンザリしてしまいますし、なんならプリキュア史上最悪の主人公とさえ思ってしまうかもしれません。
私がのどかちゃんを世界一かわいい女の子だと思えるのは、長く苦しい闘病生活の過去があったとしても、それをグチることなく、むしろ今まで楽しいことが出来なかった分まで日常や学校生活を楽しもうとしていて、結果的に沢山のかわいらしい笑顔を見せてくれたことにあります。
そんな風に、世界一かわいい女の子と思えるのどかちゃんを “史上最悪の主人公” とも思わせてしまうほどに、「過去の嫌なことをいつまでもグチグチと言い続ける」という行為は大変よろしくないことなのです。
だからこそ、現実でそのようにグチを言い続けている人がいるとしたら、やめた方がいいと思っています。
まとめ ~ヒープリが好きなら、これからも「生きてくって感じ」で過ごそう~
色々と書いてきましたが、最後にまとめるとこんな感じになります。
-
ヒープリは、世界的な困難の状況下で、
制作スタッフの皆様や関係者の皆様の
ご協力により完走することができた、
プリキュア史に残る偉大で恵まれた作品である - ヒープリが2ヶ月放送が中止になったことや
映画が半年遅れの公開になったことに対する
グチをいつまでも言い続けていると、
言い続けている本人も嫌な気持ちになるし、
周りから人が離れていくので良くない
ヒープリは「生きること」をテーマに色々と描いてきた作品です。
そんな作品の主人公ののどかちゃんは、過去の長く苦しかった闘病生活のことを引きずることなく、今の生活を思い切り楽しんでいました。
これはつまり、「生きるということは、過去の嫌なことに囚われず、今を楽しむことが大事」とも言えるのではないでしょうか?
(もちろん、時には過去の嫌なことにも向き合う必要はあるかと思いますが、いつまでもそのことに囚われる必要はないということです)
そして、のどかちゃんはヒープリの物語の最後に言ってました。
「生きてくって感じ」
と。
繰り返しになりますが、私はヒープリが大好きです。
だからこそ、これからものどかちゃんを見習って、過去の嫌なことに囚われず、未来を見つつ、今を「生きてくって感じ」で過ごそうと思います。
それが、ヒープリが、のどかちゃんが教えてくれた大事なことだと思いますのでね。
コロナ禍という世界的な困難な状況下で、最後まで完走してくれてありがとう、ヒープリ。
いつまでも大好きです。